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マルセル・デュシャン《泉》で解説! ゴミと芸術の境界って?

大人のecoアカデミー(現代美術・ダダイズム編)

 

お世話になっております。

㈱斎藤英次商店マーケティングチームです。

 

今回は、大人のecoアカデミー第2弾、現代アート編をお送りします。

普段、リサイクルを通して色々なゴミに市場価値を与えている当社ですが、

今回はモノの価値を転倒させる芸術作品から「ゴミとモノの境界」について考えていこうと思います!

 

今回協力していただくのは、上の画像の作品です!

作品情報:《泉》マルセル・デュシャン作/原本消失(写真・複製のみ残存)

 

※実際の作者には諸説あります

※今回の企画はあくまで「作品を題材にゴミについて考える」ことが趣旨であり、

実際の作品解釈には一切関係ありませんので、ご了承ください!

 

現代美術の名作ですが、ぱっと見で芸術作品だと思う方は少ないのではないでしょうか?

こちら実は、日本ではあまり見かけない形ですが、

外国ではありふれた形の「男性便器」を使った作品になっています。

市販されていた便器に「R.Mutt」という署名と年号を記載し、

台座に載せただけの立体構造物に、《泉》というタイトルが付けられています。

 

正直、特に加工などをしたわけでもなく、既製品に名前を書いただけで芸術作品とすることを不思議に思われる方もいるかと思います。

しかしこれ、日常の中にある既製品を選び出し、敢えて既存の文脈・用途から切り離すことで、

既存のものに対して「全く新しい思考」を作り出したという点で、後の現代美術を牽引する作品となりました。

芸術というのが、手作業で生み出されるモノとしての存在から、

物事の思考や解釈に影響を与える概念的な存在へと変化するきっかけとなった点が評価されています。

 

 


 

 

この作品を見ると、結局のところモノの価値を決めるのは「人の思考」なのだといつも実感させられます。

現代芸術の世界において、そのモノがゴミなのか芸術作品なのかという判断の境界は、非常に曖昧なものと言えるでしょう。

実際《泉》は、後世レプリカが複数作られるほどの有名作品になりましたが、

現物は撮影後にゴミとして処分されたという説もあります。

 

これは逆に言うと、今はゴミと認識されているようなモノでも、

「人の見方が変われば価値あるものとして再認識される」ということかと思います。

例えば、廃材をアップサイクルする事例は枚挙にいとまがなく、

近年は環境意識の高まりもあって多くのクリエイターが腕を振るう場となっています。

下の事例では、跳び箱の「運動器具」という性質を排除し、

逆に「パーツに分かれる」という特徴を生かしてテーブルとイスとして生まれ変わらせています。

 

事例:跳び箱からアップサイクルした家具

出典:リサイクル通信

「モノファクトリー、アップサイクルプロジェクト「THROWBACK」が注目」

https://www.recycle-tsushin.com/news/detail_4183.php

 

上記のように企業やデザイナーが取り組む事例に限らず、日常生活でも壊れてしまったものを別の方法で使ってみるなど、

ちょっとした工夫で不用品に再び価値を与えることは可能です。

このような感覚をより多くの人が持ち、幅広く受け入れていくことで、

現在ゴミと言われているモノにも新たな価値と活躍の場を見出していけると思います。

 

「同じモノに全く別の価値を見出す」、この人の思考に許された魔法のような力を忘れず、

これからもより多くのモノが輝ける未来へ向けて、廃棄物削減に取り組んでいきたいと思います。

 
 
 

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*作品認識にずれが無いか確認に使わせていただきました

参考文献:https://www.artpedia.asia/fountain/

 

*画像出典

マルセル・デュシャン《泉》(1917年) 出展 (パブリックドメイン)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Marcel_Duchamp,_1917,_Fountain,_photograph_by_Alfred_Stieglitz.jpg

 


 

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